惑星の時間

心の問題をいつも考えています

2019-01-01から1年間の記事一覧

教えるということ、学ぶということ(2005年6月)

ぼくの父親は、社会科の教師だった。大正生まれで、第二次世界大戦に徴兵され、満州などを陸軍の兵隊として転戦し、敗戦を迎えた。戦後の変革の中で、教員組合運動に従事し、地域の教員組合の委員長をつとめた。60年安保の頃には、岩波の「世界」を購読してい…

時には父のない子のように(2005年6月)

今年の誕生日に、父親からの祝いの電話はこなかった。 几帳面な父親は、ぼくたちが海外にいた期間も、前日の夜か当日の朝に、誕生日を祝う電話をかけてきた。家族たちも、父親のこういった几帳面さと正確さにいつも感嘆していた。そもそもが、几帳面な人では…

言葉が舞う(2005年10月)

何年前のことだったろうか、山手線の中で、「言葉が舞う」のを、見た。 電車が、駅にとまると、多くの少年、少女が、乗りこんできた。ぼくは、読みさしの本から眼をあげた。中学生ぐらいの子供たちだった。14,5歳の少年たちが醸し出す、過剰なエネルギーが感…

母の左手(2005年9月)

台風の影響で、東京でも大雨が降った。 ニュースでは、ハリケーンで、ニューオリンズ全域が都市機能を失ったことの続報が報じられている。 自然は、人間に対して、こうしてメッセージを送り続ける。 総選挙まであと1週間になった。地下鉄の駅前で、民主党の…

時が癒すもの(2005年10月)

時間が経つのは早い。 それは、哀しみであると同時に救いでもある。 父親が急逝してから、8ヶ月が経った。 故郷に帰省した。早めの1周忌を行うためだ。 北国は、 少しずつではあるが、秋から、初冬への装いをみせはじめていた。 Georges Moustaki: "Il est t…

神楽坂ルクロモンマルトルはいつものように2007年4月

JRの飯田橋の駅を出ると、ひんやりとした花冷えのような黄昏が広がった。カナルカフェのある濠のまわりの外堀通り沿いの桜が満開で、そぞろ歩きの人の数も多い。もともと人気のある場所だった、神楽坂が、ついこないだ最終回を迎えた倉本聡の人気テレビ番組…

ぴあの(2005年6月)

佐藤多佳子のサマータイム(新潮文庫)を読んだ。 交通事故でジャズ奏者の父親をなくして、ジャズピアニストの母親と二人暮らしの片腕の少年と、ある夏、めぐりあう気の強い美少女とその弟の話である。交通事故で片腕をなくした少年のピアノと、美貌の母親とそ…

ともしび(2005年6月)

夜霧のかなたへ、別れを告げ 雄々しきますらお、いでてゆく 窓辺にまたたく、ともしびに つきせぬ乙女の 愛の影 大柄で美人のロシア人歌手が、ピアノを弾きながら、ともしびを歌い始めた。ぼくは、病院の講堂で、車椅子に座った母親の左手を握っている。母親…

学校の英雄

故郷の両親を弔って以来、めっきり北海道との縁も薄くなったように感じていたのだが、札幌のサッカークラブ、コンサドーレがJ1に昇格して、年々着実な成長を遂げる中で、関東近辺でのアウェイのゲームで、ゴール裏に応援に行くことが増えてきた。 子どもの頃…

父への弔辞

「転勤なしという勤務形態がありえるんだったら、考えてみます。」 大学を出てすぐ就職した会社を10年前に辞めた。課長になった頃だった。会社にすれば、辞められると一番痛い時期だ。数ヶ月、慰留された。慰留というより、恫喝の気配も漂った。担当役員が、…

モリオカの友人

年末に、大手術をした、大学時代の友人の見舞いに行った。大学で物理学を教えている独身の友人は、術後も、いつもどおりの平穏な表情を浮かべていた。安心した。長く、不眠症等に悩まされているが、彼の内心は単純には外には現れてこない。しかし卒業後何十…

「言葉の誕生を科学する」は面白い

物事の起源を探るという構えは、おしなべて、うさんくさい。一言で言えば、すべて見てきたような嘘、見てもいないようなホラだからだ。 僕たちは、なんの準備もなく、無根拠に、この世の中に放り出される。それは個人であっても集団であっても類であっても種…

日本人は印象派が大好き

西洋絵画、特にフランスの印象派の画家たちへの日本人の愛情は深い。彼らが日本の芸術というものに示してくれた高い敬意のせいもある。 絵画芸術と言えば、僕が、最初に思い浮かぶのは印象派の画家たちだ。 画家たちの生涯を語る文章は多い。 しかし原田マハ…