惑星の時間

心の問題をいつも考えています

教えるということ、学ぶということ(2005年6月)

ぼくの父親は、社会科の教師だった。大正生まれで、第二次世界大戦に徴兵され、満州などを陸軍の兵隊として転戦し、敗戦を迎えた。戦後の変革の中で、教員組合運動に従事し、地域の教員組合の委員長をつとめた。60年安保の頃には、岩波の「世界」を購読しているというだけで、警察の内偵があったと言う。その後、管理職となり、組合運動で混乱している学校を中心に転勤した。「毒をもって毒を制す」ようなつもりだったんだろうと、父はのちに苦笑した。 

 

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子の買いかぶりをぬいたとしても、父親は、良い教師だった。ぼくの良い教師の定義は一つだけである。自分自身が学び続けていることだ。父親は、7人兄弟の長男で、早くに父親をなくし、彼の給料によって、大家族を支えなければならなかった。彼は、ジャーナリストや弁護士に憧れていた。しかし裕福ではない家計では、師範学校が精一杯だった。そういった鬱屈もかかえながら、彼は教師という道を選んだ。

 


清志郎追悼「僕の好きな先生」

 

大学出ではない劣等感を梃子に、父親は大変な読書家となった。大量に本を読み、日記も含め、大量に文章を書いた。そんな父親が本を読むところや、父親の大きな本棚を見ながらぼくは大きくなった。その意味で、ぼくにとっての最初で、一番大切な先生は父親だった。その後も、何人かの重要な師匠に出会った。それは、自分はこの世に何のために生まれてきたのか、自分は何をすべきなのかと悩みつづける過程でだった。ぼくは、正直、先生にめぐまれてきた。 

 

池波正太郎の人気小説「剣客商売」(新潮文庫)にこんな場面がある。

 

剣客商売(一?十六、番外編) 合本版



秋山小兵衛は、鐘ヶ淵の隠宅の裏手で、薪を割っていた。風もなく、あたたかに晴れわたった冬の午後である。石の上に腰をおろした小兵衛は、まるで、鋏で紙を切るように薪を割っていた。巻き割りを持つ小兵衛の手がうごかぬほどにうごいている。薪割りの刃が軽くふれただけで、薪が二つに割れ四つに割れてゆくのだ。

 

 

 

剣術一筋の小柄で粋な小兵衛と息子の大治郎が田沼意次の権勢華やかりし頃の江戸を舞台に活躍する人気シリーズだ。めっぽう強く、洒脱な小兵衛には現実のモデルがいた。それが、「又五郎の春秋」という池波正太郎の著作の中でも少々異色な作品の主人公、歌舞伎界の名優、中村又五郎だ。

 

又五郎の春秋 (中公文庫)

 

この魅力的な人物評伝のなかでも、とりわけ、歌舞伎の未来を案ずる又五郎が渾身の力を振るう後進の教育の件りがいい。 魅力ある師匠とは何か。

 

又五郎剣客商売の舞台で、その当時、新進だった真木洋子が井戸水をくみ上げる演技を教えるところ。

 

いうまでもなく、舞台の井戸には水が入っていない。底も浅い。わずか一メートルほどなのだ。その底は板である。

 

(中略)

 

「ほらね。こうするのだ」 たちまちに、して見せた。

 

先ず、縄を撓めておいて、井戸の中を見込み、釣瓶を落す。釣瓶はすぐに一メートル下の板の上へ腰を据えてしまうのだが、又五郎の手に撓められた縄はするすると下へ伸びて行き、井戸の底の深さを観客に納得させずにはおかない。

 

それから、水が入った釣瓶を引き上げる。

 

このときも、縄を手繰る手さばきと眼のうごきと、姿勢によって、水が入ったように釣瓶の重さを表現しなくてはならぬ。

 

 

歌舞伎の舞台で鍛え上げられた、肉体が語る豊富なコトバ、イマジネーションが池波の筆力によって再現される。芸と芸がぶつかりあう音が行間から聞こえてくる。

 

又五郎が心血を注いだものに、国立劇場・歌舞伎俳優研修所における「素人」研修がある。

 

歌舞伎を見たこともない連中を、歌舞伎俳優に仕立て上げるという気の遠くなるような仕事。

 

初回に、六代目菊五郎や先代吉衛門の話をしても、ポカンとしている若者たちに、又五郎は、実演を交えて教え始める。女形のセリフのいいかたや歩き方、立ち役の仕種などを演じ分ける。と、俄然若者たちの反応が変わり、どよめきが生まれ、眼に必死さがみなぎり始める。

 

「いつまでたったらセリフをおぼえるんだ!!」 

「おまえのおかげで稽古が遅れるんだよ、わかったか!!」 

怒鳴りつけておいて

「そうだろう」

の一言に、無限の優しさがこもっている。

 

 

昨今、教育論がやかましい。教育とはつきつめれば、自分にとって一番大切なものを見つけるための技術論のはずだ。一見簡単そうだが、好きなものを見つけ出すというのは、案外厄介だ。好きなものが本当に大切なものに変わるためには、その好きであることが持続しなければならないからだ。研修所の若者たちは、幸福だ。目の前で、自分の大切なものを一筋に貫いてきた人生が、血や、息や、筋肉の律動となって踊っていて、又五郎の一つ一つの動きが、自分の人生を生きるということの明瞭なイメージとして記憶に焼きついたはずだからだ。

 

彼もまた、真剣な教師だったぼくの父親が、繰り返し言った言葉を思い出した。

 

自分が学びつづけられるものにしか、他人を教えることなどできない。

 

 

 

父親の言葉だけが記憶に残っているわけじゃない。書斎で日記を書く背中、長椅子で寝転んで、ペンシル片手に本を読む姿。胸に本をおいて昼寝している様子。書物を大切するように、薄く引かれた傍線と書き込み。

 

そんな細かなことが鮮明に残り、父親という存在の輪郭を作っている。

 

そして、その描写はそっくりそのまま、今の自分の姿だ。

 

本を読んでいる姿がお父さんそっくりになってきたわね、と妻が横でつぶやいている。