日本人は印象派が大好き
西洋絵画、特にフランスの印象派の画家たちへの日本人の愛情は深い。彼らが日本の芸術というものに示してくれた高い敬意のせいもある。
絵画芸術と言えば、僕が、最初に思い浮かぶのは印象派の画家たちだ。
画家たちの生涯を語る文章は多い。
しかし原田マハはその繊細で美しい短編集「ジヴェルニーの食卓」の中で、画家の活動を支えた画廊、画材店、パトロン、家族などの視線から印象派の時代を描いている。
彼女が織りなす物語のアウラに包まれて、美術館や展覧会を散策してみたいと思った。
マティスに人生をささげる修道女についての「うつくしい墓」。
ドガの米国への紹介者であり、自らも優れた画家であったメアリー・カサットと若い踊り子の少女の人生と画商のデュラン・リュエルの矜持が痛切に交差する「エトワール」。
売れない時代のポール・セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホなどの作品を預かる代わりに絵具を無料で提供しつづけた画材商のタンギーとその家族。
パトロンの家族と、モネの長く、複雑な思いや政治家クレマンソーとモネの深い友情の歴史を描く「ジヴェルニーの食卓」。
絵画鑑賞というものに、豊穣な起伏と肌理を与えるのが良き物語であるということをしみじみと実感させてくれる傑作だった。
「明るく、強く、輝く色。力のみなぎった線描が、たちまち床の上に薔薇窓を出現させます。先生は、じっくりと長い時間をかけて、床の上を眺めておられます。あごひげに手をやったまま、何十分も動かないこともある。最初は、そのまま眠ってしまわれたのではないかと、こっそりのぞきにいったりもしましたが、そんなことはありません。ゆっくりと、ご自身が絵と完全に一体化する瞬間を、先生は待っておられるのです。」
(うつくしい墓)
「あたしが彫刻になったら、世の中の人たちが、みんな、びっくりするだろうから…その彫刻も高く売れるだろうから、そうしたら、あたしにその売上をくれるって…きっと、あたしは有名になって、『エトワール』に抜擢されるだろう、って…」
(エトワール)
「あれをみて、なんていうか、こう、がつーんとやられてね。ああ、すごい時代がきた、これからは、芸術が世の中の流れを主導していく、社会を変えていくんだ。芸術には、ものすごい力がある。誰かの人生を変えるほどの力があるんだ、ってね。それで、決めたんですよ。なんでもいいから、これから出てくる画家を支えて生きる仕事をしよう。そのために店を開こうってね」
(タンギー爺さん)
「広大な庭の中で、人工の作り物は、中央をまっすぐに貫く小径にかかるばらのアーチだけだった。できるだけ自然に近い形で、自由に、生き生きと草木を茂らせる。それがモネの庭作りの方針だった。
庭には花らしい花がいまはまだなく、ひっそりと静まり返っていた。小径の両側にはやがて本格的に春がきたら、そして夏になればなおのこと、さまざまな花々が咲き乱れる。ヒナゲシ、キンレンカ、スイートピー、ルピナス、ボタン、リンドウ、チューリップ、シオン、クレマチス、ダリア、ツルバラ。そして、この庭の向こう側の敷地にも、もうひとつのすばらしい庭が、息を潜めて主の来訪を待っている。それは、睡蓮が群れて咲く、太鼓橋が架かった池のある「水の庭」だった。」
(ジヴェルニーの庭)
傑作アルバムに織り込まれた巧みなライナーノーツがそれ自体音楽経験の一部になっていくように、言葉や文字で語られる物語は、まさに、画家やその周辺の人々の理想と犠牲によって生み出された美という瞬間を繋いでいく欠かすことのできない永遠の鎖の一筋なのである。こうした感動や美の瞬間を繋いでいくことの総称として僕たちは、芸術という言葉を使うべきなのかもしれない。