惑星の時間

心の問題をいつも考えています

「言葉の誕生を科学する」は面白い

 

物事の起源を探るという構えは、おしなべて、うさんくさい。一言で言えば、すべて見てきたような嘘、見てもいないようなホラだからだ。

 

僕たちは、なんの準備もなく、無根拠に、この世の中に放り出される。それは個人であっても集団であっても類であっても種であっても同じだ。

 

にもかかわらず、僕たちは、自分のそして人類の起源が気にかかってならない。

 

最近、一念発起、中国語の文献をとにかく読んでみようと思った。その結果、すべての文字が漢字で表記されるという、膨大な漢字の大海、荒野を前に、茫然としながら、古代の日本人たちの絶望と断念と母語に対する決断を想像的に追体験した。

(土曜日なのに、言い方が、大袈裟になってしまう。)

 

母語の起源を考えていたら、さらに、連想は、言語そのものの起源へと横滑りした。

 

言語の起源を歌に見る科学者(岡ノ谷一夫)がいて、科学者という生き物に対して濃密な好奇心を持つ作家(小川洋子)がいた。

 

言葉の誕生を科学する (河出文庫)


シジュウカラの鳴き声 A song and a call of Japanese Tit

その二人が、言語の起源を語り合う対談集が、とてもエキサイティングだった。

 

科学者は言葉の起源を探るには、言葉のない世界にいったん遡る必要があると考えた。

 

言葉の前に、声、歌があった。発声を学習する動物が三種類いる。クジラ、鳥そしてヒトである。

 

当然、種の存続のために、オスはメスを求める。歌のうまい奴が多くのメスをひきつけ、繁栄する。

 

というような大きな仮説のもと、科学者は地下で活動するネズミやジューシマツの言葉以前のコミュニケーションの研究を続けている。

 

科学者には、そもそも、言葉(はなしことば、かきことば)に対する違和感がある。言語というものがコミュニケーションにとって不可欠ではないのではないかという思いだ。

 

人間はある特殊な遺伝子の組み合わせの結果、突然、言葉という異物を獲得することになる。そして、結局、この異物である言葉を得た瞬間からヒトの宿命が始まったと。

 

言葉の起源が15万年前、書き言葉に至ってはたかが1万年前に生まれた。

しかしこの言葉がヒトの宿命を加速させていく。

 

この仮説が、作家の物語への想像力を刺激する。

 

彼女のこんな妄想は、美しく、かつ哀切である。

 

「生物の中で唯一、言葉という奇妙な道具を手にしてしまった人間は、それ故に独自な進化を遂げた。時間を知り、神の存在を意識し、芸術を生み出し、自らを滅ぼす武器を作った。言葉を操ることによって生物界の頂点に立ったはずが、頂点の先にあったのは滅亡だった。この矛盾を生きているとしたら、人間とは何と可哀想で、けなげな動物であろうか。

 

あるいはこんな想像をしてみる。人類史上初めて言葉を喋った人間は、ある種の畏怖の念を抱いたに違いない。肉体の内側から出てくる、他のどんな種類の道具とも似ていない不可思議なもの。最初の人間はきっと恐れ、自問自答したはずだ。本当にこれを手にしてもいいのか、と。その恐れをもたらしたのが、滅亡の予感だった。野生の直感で、彼らは自分個人の死の先にある、ずっとずっと遠い死を予知しながら、新しい道具を受け入れた。」(小川)

 

 

人間の喜びも哀しみも幸福も、悲劇もすべて、言語という異物が齎したということなのだ。

 

そういった哲学的想念だけではなく、研究にかかわるエピソードがそれぞれ刺激的な対話集である。オススメの一冊だ。